刺草の雑記帳

好きなもののことを書き留めるブログ。刺す草と書いて「いらくさ」。

私だけ苦手なもの

今週のお題「今だから言えること」

 

アニメやドラマ、映画等でよくある、「悪意を持つ誰かの言動によって、何も悪いことをしていない人が周囲から誤解される」だとか、「調子にのっていたら大失敗する」とか、その手の展開が小さい頃からすごく苦手だった。

一人で観ているならTVを消すこともできるが、家族でTVを観ている時はそうもいかない。TVのある部屋から立ち去れば立ち去ったで、家族から「また逃げた」などと言われて、それはそれで嫌だったし。

小学生の頃、学校の巡回映画でそういう描写のオンパレードみたいなものを観ざるをえない状況に追い込まれ、泣きながら観ていた記憶がある。はたから見れば「特に感動するとこでもないのに、変わってるなあ」と思われただろうが、それは感動の涙ではなく、苦痛を受けて流れる涙だった。他の人はどうして平気で観ていられるのかがわからなかったのを、今もたまに思い出す。

 

苦手があるからわかったことも、ないでもない。

アニメも実写もだめだったが、同じ内容でも小説や漫画なら大丈夫なので、おそらく人の声や音があるとだめなんだろうと思う。映像だけなら目の逸らしようもあるけれど(ちなみに、保健体育の授業中に病気や健康被害に関するビデオを観ていて気持ちが悪くなったことも数度ある)、耳がどうしても人の声を拾ってしまう。よくも悪くも、声の力は絶大なのだ。

 

「相手のことをしっかり理解したうえで嫌ったり殴り合ったりする方が、容易に解決できなくてめんどくさい(それはそれで趣深いけれど)」「調子に乗った状態ならまだしも、真面目にやっててその上で挫折する方が辛いかもしれない」など、苦手な展開を目撃しても気持ちの上で「受け身をとれる」ようになってきたのは、割と最近のこと。

それまでは耐えるか逃げるかしかなかったので、多少は進歩したと言っていいだろう。今だって家族が朝ドラの再放送を見始めれば急いで昼食を済ませて部屋を出るし、隣室から謀略渦巻く韓国ドラマの声が漏れてくれば音楽をかけて打ち消しているけれど。「苦手なものをなるべく観ないで済む権利」が確保できれば、人が観ているものにとやかく言う気はない。

そして、自分と同じものを苦手とする人は周りに見つけられなかったけれど、いないわけではないこともネットによって知ることができた。過敏さのせいで地味に困っている人は、私以外にも結構いるのだ。おかげで、だいぶ気楽になったし、こうして人に明かすことができる。