刺草の雑記帳

好きなもののことを書き留めるブログ。刺す草と書いて「いらくさ」。

子供たちがひもとく地獄絵図 いとうせいこう『ノーライフキング』を読んで

 

たまに読み返したくなる本のひとつである、いとうせいこうノーライフキング』を読み返した。

20年くらい前の本だから感想や考察はいくつも書かれているだろうが、自分の感想をここに置いておく。一応ネタバレ注意。

 

 

あらすじ。

小学生たちの間で爆発的に人気となったゲームソフト「ライフキング」。

主人公であるまことも、友人たちも夢中になっている。学校や塾の友人、友人のそのまた友人たちと、電話やコンピュータで連絡を取り合いゲームの情報を仕入れる。

同じタイトルでもゲーム内容に差異があると噂されるそのゲームに、5つめのパターン、Ⅴが発見されたという噂が流れだす。

Ⅴ、またの名を「ノーライフキング」。Ⅰ~Ⅳまでとは異なる、やり直しのきかないゲーム。ゲームをしたことのある者はみな、このゲームを攻略しない限り家族まで呪い殺されるのだという。荒唐無稽な噂を、それでも疑えない子供たち。

時を同じくして、まことの学校の校長が朝礼中に突然死する。

奇しくもゲーム序盤に出てくる敵と同じ言葉を残して。

そして、やり直しのきかないゲームが始まった。

ノーライフキング」を、「死」を連想させるものを遠ざけようと、病的な行動に出る子供たち。理由がわからないまま的外れな方法で抑え込もうとし、かえって状況を悪化させる大人たち。人々の不安が噂、あるいは偏見を産み、自分たちを追い詰めてゆく。

子供たちはゲームをクリアしようと懸命になるが、事態は悪化の一途をたどる。彼らがどん底まで突き落とされたとき、大人をも巻き込んだ戦いは終わりを迎える。

 

 

このお話が何に似ているか考えてみたら、昔見た地獄絵に似ていた。このうえなくひどい有様なのに、魅入られる。日常が地獄に変わり、人はみな苛む鬼であると同時に苛まれる亡者である。

悪い噂も偏見も、子供の情報網や大人の作るメディアによって拡散されてゆく。それが経済に大きな打撃を与え、人を殺しさえする。

目の前にある機械の向こうでも、このお話と似たようなことが時々繰り広げられているけれど、それには心惹かれない。私たちの到達できない境地(別の次元とか)では、それも綺麗に見えるのだろうか。四次元の住人あたりに聞いてみたい。

 

このお話では、子どもたちも誰かしらに加害している。しかし彼らの幾人かが命を絶ったのは、彼らのしたことの報いではなく、大人たちが過ちを犯したせいだ。

大人たちの最大の過ちは、自分たちの子供を愛するがゆえ、「子供たちだっていずれ死ぬ」という事実から目をそらしたこと。子供たちは自分と家族の死を恐れていたのに、それを無視した。

「お前もお前の親もいつかは死ぬようにできてるんだよ」と、そういってやれる人間がいれば、子供たちはああも怯えなかった。なのに大人はゲームだの子供たちの情報網だのを敵に仕立て上げて排除し、安心しようとした。それが子供たちを殺すことになるなんて考えもせずに。

 

大人が探す黒幕なんていない。子供たちに呪いなんて解けない。そんなものは存在しないのだから。ではどうすればこの地獄から抜け出せるのだろう?

そう思いながら最後まで読んだが、数年前初めて読んだ時も、今回読み直しても、ラストをどうとらえたものかいまだに悩む。あっけないようでいて劇的で、逆も然り。

あの終わり方も、このお話が強く印象に残る理由の一つだと思う。

 

ゲームに出てくるアイテム「賢者の石」。死んだ者がゲームの主人公ライフキングに遺す、己の情報と力すべて。死を覚悟した子供たちはそれを作ろうと、言葉で「自分」を遺すという難題に挑むが、納得のいく完成にこぎつけた者はわずか。

絶望をみた子供たちはそれでも祈る。「ワスレナイデ」と。自分のすべてがいつか誰かに届くようにと。

そして。20年近く前に世に出た本と、数年前の私は出会った。彼らの願いは、私にも確かに届いた。

ノーライフキング (河出文庫)

ノーライフキング (河出文庫)